郷土玩具平田・伏見人形|郷土玩具・土人形の始まり|丹嘉・菱屋
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伏見人形は江戸時代前期に伏見稲荷のお土産として売られており、全ての郷土玩具、土人形の元祖でもあります。
当時は多くの窯元がありましたが、現在では「丹嘉」さんだけがこの伏見人形を作り続けています。
伏見人形は型の種類が非常に多いことが特徴のひとつでもあります。
また窯元それぞれによって型が違うことはもちろん、彩色の仕方も違うので、伏見人形といってもそれぞれ雰囲気が全く違うところが面白みのひとつでもあります。
「丹嘉」さんと「菱屋」さん
戦前まで窯元は多く存在していたけれども、戦後になってからも営業を続けていた窯元が「丹嘉」さんと「菱屋」さんです。
(「菱屋」さんは現在は製作を中止しております。)
この2つの窯元の伏見人形は特徴が全く違っており、比べてみるのも面白いでしょう。
「丹嘉」さんの伏見人形の特徴
・丁寧に作られている
・筆使いが細かく、彩色が細部まで行き届いている
「菱屋」さんの伏見人形の特徴
・明るい色使い
・素朴な雰囲気
「菱屋」さんのお話
上記で提示しましたとおり、「菱屋」さんの伏見人形はおおらかな感じです。
そんな「菱屋」さんにまつわるこんなお話があります。
-ある日、「菱屋」さんで伏見人形を購入した人がいました。
しかしその「招き猫」をよく見ると、左右にあるはずの髭が片方しか描かれていなかったそうです。
そこで「菱屋」さんに文句を言うと、筆を持ってやって来て、その場で髭をさらっと描き足したそうです。
店内にある「菱屋」さんの伏見人形の中にも髭が片方ない人形があるかもしれません。
ぜひ探してみてはいかがでしょうか。
伏見人形「饅頭喰い」
説話
子供が「お父さんとお母さん、どっちが好きか」と問われた際、持っていた饅頭を二つに割って「この饅頭はどっちが美味しいですか」と質問で返したと言われています。
象徴
賢い子供の象徴として人気となり、子供が賢くなるようにと買い求める人が多かったそうです。
また安産祈願や出産祝いの贈り物にもされていました。
補足情報
上の写真の人形はどちらも「饅頭喰い」ですが、窯元がそれぞれ違います。
左が「丹嘉」さんで、右が「菱屋」さんとなります。
上記で説明しましたとおり、左の方が着物の模様や髪の毛など細かく描かれているのが分かります。
伏見人形「成田屋人形」
説話
江戸時代に大人気だった七代目市川団十郎が自分の十八番「助六・暫・矢ノ根」の三つの舞台姿を人形に作らせ、三百個の人形を江戸への土産にしたと言われています。